鬼母神から小石川後楽園

鬼母神から小石川後楽園

2023年7月15日(土)に開催されました!詳しい様子は東京ウォーキングクラブホームページをぜひご覧ください。沢山のお写真とともに当日の様子を掲載しております。

▼東京ウォーキングクラブ

http://walk-tokyo.lolipop.jp/

↓東京ウォーキングクラブHPより↓

2023年7月15日(土)、14人(内2人新しい人)の参加で≪鬼母神から小石川後楽園≫のウォーキングが行なわれました。
出発はJR目白駅10時。最初は雑司ヶ谷鬼子母神堂へ。100mの参道の両側には樹齢600年を超えるケヤキ並木があり、暑さを和らげてくれました。ここでお参りがてらしばし休憩しました。ここまで約1400㎞でした

鬼子母神は安産・子育ての神であるとともに、法華経の守護神として日蓮宗寺院で祀られています。雑司ヶ谷鬼子母神堂に祀られている鬼子母神尊像は永禄4年(1561年)に清土(現・清土鬼子母神堂)で掘り出され祀られましたが、現在の雑司ヶ谷鬼子母神堂は寛文4年(1664)に第二代広島藩主浅野光晟の正室・自昌院の寄進によって本殿が建立され、その後拝殿が増築されたものです。

目白通りにもどり「東京カテドラル聖マリア大聖堂」に。1899(明治32)年に建てられましたが、1945(昭和20)年の第二次世界大戦の東京大空襲によって焼失。ドイツのケルン教区の支援によって再建設が決定し、故丹下健三氏の設計により、1963(昭和38)年4月に起工、1964(昭和39)年12月8日落成、献堂式が行われました。
大聖堂の中の見学は自由で、涼しい壮大な建物のなかで、休息をとることが出来ました。その後、目白台運動公園内の散歩道から、肥後細川庭園沿いの幽霊坂を下り、神田川沿いに出て、正門入り口から庭園に入りました。ここまで目白駅から約4000mでした。

肥後細川庭園は文京区立で、目白台の台地(関口台地)の自然景観を活かした池泉回遊式庭園です。江戸中期以降いくつかの旗本の邸地や下屋敷になり、幕末には細川侯の下屋敷になりました。その後、東京都が買収し、昭和50年に文京区に移管されました。平成29年3月に「肥後細川庭園」に名称変更しました。

西門広場にはきれいなテーブルやベンチが設置されており、心行くまで昼食を楽しみました。昼食後、細川家の学問所として使用されていた松聲閣(しょうせいかく)を見学しました。建物は歴史を醸し出す造作とともに、二階からの庭園の眺めは見事でした。

南門を出て神田川沿いにもどり、左手に江戸川公園を眺めながら、神田川の左岸(下流)を白鳥橋まで約2000mあるきました。スタートからここまで約6200mです。

ここで左折して神田川とはお別れして、安藤坂を上り牛天神下まで下り、左折して「小石川後楽園」の北西角を右折、南下し西門に着き、ここから入園しました。
昔の小石川は、起伏に富んだ地形で古い高木が茂っていました。南側には神田川が流れ、舟が行き来し船着き場が設けられていました。「後楽園球場」や「後楽園遊園地」などが建つ土地は、もともと水戸藩邸の土地で、水戸藩の殿屋が建てられていました。

小石川後楽園は水戸光圀らに相続され、家臣の教養や親睦を高めるための場となりました。庭園は個人の所有物ではなく、あらゆる階級の人々が招かれ、あらゆる会合の場として使用されたことが特徴です。庭園はその後改造が重ねられ第4代徳川宗尭によって思い切った園の改造を行ないました。
そんな庭園の中をそぞろ歩きして、西門付近で解散しました。

10㎞越えのコースでしたが、初めて参加したひとは「少々きつかったが、時々休憩を入れてくれたので助かった」と感想を漏らしていました。その人は「この付近で勤めをしていたので…」と最後は率先して案内をしてくれました。
今回は、新運営委員の提案とレビュー案内によるウォーキングで、暑かったけれども、とにかく楽しい有意義なウォーキングでした。ペットボトルを何本のんだかも会話にのぼっていました。(運営委員会)